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New York Mining Disaster 1941

連休用に何冊か図書館で本を借りた。

本を探すときは、だいたい好きな作家をベースに、最近返却された本(=そこそこ人気がある)などから選んでいる。
たまに図書館だからと未読の作者を選んで失敗することもある。

今回は、まさかのタイトル大幅変更なんていう落とし穴はあったものの、今手元にあるのは、誉田哲也、池井戸潤、海堂尊、そして重松清という私にとってはまず外さないラインだ。

重松清は好きな作家だ。

読み始めたきっかけは、友人のニャロメさんからプレゼントされた「ビタミンF」で、そこからハマってしまい、今まで7~8冊読んでいるが、まずはずれない。

ニャロメさんには感謝、感謝だ。

重松清は私と同世代で、学校も一緒(もしかして会っていたかもしれない)ということで、妙に波長が合うというのも魅かれる点なんだが、バックグラウンドが近いせいか、描かれている話がリアルに響いてくることが多い。

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そういう意味では、自分と立場の近そうな中年オヤジ話は、リアルすぎてつらくなることもあるので、なるべく敬遠して、今読んでいる本は「せんせい。」

タイトルどおり学校の先生をテーマにした短編集なんで、主人公の「先生」は自分とは重ならなかったんだが、同世代ということもあって、ニールヤングが好きな先生の話なんかが出てきて、自分のあるエピソードを思い出してしまった。

私の通っていた中学に、新人の数学の先生が赴任してきた。

当時世界戦に挑んであえなく負けたバズソー山辺(すごいリングネームだ)というボクサーに似ていたので、「バズソー」とか、下の名前が「たもつ」だったので、親しみをこめて「たもっちゃん」とか呼ばれていた。

新人ということで、先生の中では一番我々に世代が近くて、気さくに話をしてくれて、話がわかる先生だった。

そして極めつけは、授業の一環として行われる方の正課のクラブ活動(うちの中学では、そっちを「クラブ」と呼び、課外は「部」とか「部活」と呼ばれていた)で、バズソー先生は洋楽を聴くクラブをスタートさせた。

当時は、給食の時間に放送部がインストだからと「反逆のテーマ」をかけただけで怒って途中で止めさせた先生がいるような時代だったので、たしかクラブのネーミングはあまり波風が立たないような「音楽鑑賞クラブ」みたいな名前だったと思う。

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当時はBay City Rollersが日本で大人気で社会現象化していたし、Queenだ、Kissだ、Aerosmithだとクラスの半分以上が洋楽を聴き始めて熱狂していた時代だったので、そのクラブは生徒から熱狂的な支持をもって迎えられた。

たしかそのクラブはすごい人気だったと思うが、運よく抽選が当たり、私はそのクラブに参加することができた。

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みんなの期待の中、開始されたそのクラブは、毎回バズソー先生が選んだ1組のアーティストの曲を聴いて、聴いている間に曲名を先生が黒板に書いておき、最後に先生が解説するという形で行われた。

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登場したアーティストはThe Beatles、Deep Purple、Led Zeppelin、The Rolling Stones、Chicago、Yesなどのメジャーなロックで、ソウル系、ポップス系とかは登場しなかったと思う。

毎回先生がたぶん自前とも思われる複数枚のLPを持ってきて、その中から選曲していたので、今思えば、かなりのロックマニアだったんだろう。
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The Beatlesの回は複数回あって、"Abbey Road"は通しで聴いたような記憶がある。

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一番盛り上がった回は、当時Bay City Rollersと人気を二分していたQueenで、その回は曲が出るたびに歓声が上がっていたような気がする。

Bay City Rollersはやった記憶がないので、そこはロックファンとして先生がこだわったのかもしれない。

そんな感じでクラブは進んでいき、かなり佳境に入っていたから3学期だったと思う。

その回のテーマはBee Gees。

ここでみんなざわつく。

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当時Bee Geesというと"You Shood Be Dancing"という思いっきりディスコに走った曲をヒットさせていて、明らかにそれまでクラブで特集されてきたアーティストとは異質だ。

そんな違和感の渦巻く視聴覚室に流れ始めたのは、"You Should Be Dancing"とはまた異質などこか牧歌的なポップス。

日本でも大ヒットしオリコンNo.1に輝いて、当時AMラジオでも懐かしのリクエスト的な感じでオンエアされていた「マサチューセッツ」ぐらいはわかったが、あとは当時の中学生は知らない曲だらけだし、いつもと違ってゆるい曲だらけなので、生徒は徐々に飽きてきて、関心が薄れるのと反比例して私語のボリュームが大きくなり、最後の方はほとんど曲が聞こえないぐらいの乱れようだった。

最後の解説の時間になり、バズソー先生が教壇に立ったが、様子がおかしい。

開口一番、「おれは悔しい」と言って、唇を結んだ。
そして目からは涙があふれてきた。

そのあと先生が何を言ったかは覚えていないんだが、我々生徒もBee Geesが先生の大好きなアーティストで、それを生徒が全く受け入れられず、クラブ始まって以来のだらけた私語大会になってしまったことに悔し涙を流したことはわかった。

そのあとも何回かクラブは行われたと思うが、なんとなくお互い気まずい空気だったような気がする。

そして、翌年以降ロックを聴くクラブが行われることはなかった。

それから時が流れ、私は出身中学に教育実習に行くことになった。

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当時はずいぶん久しぶりに母校に帰ったような気がしたけど、今思えば卒業してから6年ちょっとしか経っていなかったので(22年の人生のうち6年と今の6年は尺度が違うか)、私が在学中にいた先生も何人かは残っていて、2年生の時の担任の柔道が専門の体育教師N先生や理科のS先生などに混じって、バズソー先生の姿もあった。

N先生やS先生は最初の朝礼であいさつした後声をかけてくれたが、バズソー先生は何も言ってこなかった。

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見た目はちょっと老けたかなと思った。

私は担当科目が社会だったので、数学担当のバズソー先生とその後も話す機会はなく、廊下ですれ違ったときに挨拶するぐらいだったが、担当したクラスの生徒と話をしてみると、バズソー先生はそれほど人気がないようだ。

生徒とはあまり余計な話はしないし、授業も真面目に淡々とやるらしい。
私が彼が新人だった頃の話をしても、信じられないといった反応だし、そんなこと興味ないといった顔をされてしまった。

重松清の「せんせい。」にも書かれているんだが、生徒だった頃って、先生はものすごく大人だったんだけど、自分が歳を重ねてみると、中学生と新人の先生って7~8歳しか違わないんですよね。

実際に自分も新人の社会人を経験し、歳をとっていろいろな経験をして、当時それぐらいの年齢だった先生がどう思っていたかなんてこともわかったりする。

バズソー先生も新任の時は情熱があったし、洋楽を通じて生徒との距離を縮めたいと思っていたのかな。

あの涙は挫折の涙だったのかな。

《What's The Title?》

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Bee Gees 1st/Bee Gees

あのときこの曲をクラブでやったかどうかも覚えていないんだけど、Bee Geesの記念すべき初のヒット曲だからきっとやってただろうとタイトルにしました。
中学生だった私にはわかるはずもなかったわけですが、Bee Geesって歌詞も難解で深いんですよね。
この曲も炭坑の事故で閉じ込められてしまった主人公(それもタイトルを見ないとわからないんだが)がMr. Jonesとお話ししているわけですけど、あまり多くの説明がないので、いろいろ想像を掻き立てられる歌詞になってます。
そういうところもバズソー先生の好みだったのかなあ。

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by falling7813 | 2017-05-07 11:17 | Looking Back | Comments(2)

Afternoon Delight

ケータイでFacebookを眺めていたら、誰かがStarland Vocal Bandの”Afternoon Delight"についての記事をシェアしていた。
その記事には、この曲が40年前にヒットしたと書いてあった。

1976年って40年前なんだ。

それで思い出したこと。

1976年といえば、洋楽を本格的に聴き始めたころで、まだ邦楽も聞きつつ、AMラジオで聴いている時代で、John Denverの”Fly Away"とか”Lookin' For Space"(この2曲がアメリカではすでに落ち目になっていたと知ったときはショックだった)あたりが大好きだったので、同じようにカントリーフレーバーの”Afternooon Delight"はイントロからエンディングのコーラスまで、非の打ち所がないほど好きだった。

e0242504_21483494.jpg当時、徐々に自分の意志でレコードを買い始めていて、まだLPは持ってなかったけど、初めてこのジャケット→の”Let It Be"を買ったのが、記念すべき洋楽第1号シングルだった。

初めて買った洋楽なので、それこそ擦り切れるまで聴くってやつで、B面の"You Know My Name"を含めて(最初に聴いたときはときはめちゃくちゃ驚いたが)、めちゃヘビーに聴いた。

e0242504_21554017.jpg当時は邦楽も買ってて、たしか同じころ買ったのが、風の「ささやかなこの人生」だった。

そして、”Afternoon Delight"もめちゃ好きだったので、シングルを買おうと、小遣いをためて、当時家から一番近かった狭山ヶ丘駅前の狭山レコードへ行くことにした。

当時はシングル600円だったかな?

出かけようとしたら、弟も一緒に来るというので、自転車で一緒に出掛けた。

そのころ、自転車で両手放しを覚えて、やたらとやりたい時期で、家を出て2~3分の団地の中の道で両手放しをやった。

するとすぐうしろを走っていた弟の自転車が倒れる音。

どうも私の真似をして両手放しをしようとして、こけたようだが、運悪く、止まっているトラックの横で転んでしまい、打ち所が悪く、頭をトラックのどこかにぶつけてしまい、頭を切って流血。

結局、弟は頭を何針か縫うけがをしてしまい、狭山レコード行きは中止になってしまった。

それでシングルは買いそびれてしまい、しばらくは2~3年あとに録音したエアチェックのテープで我慢した。

そんなことを思い出した。

《What's The Title?》

e0242504_22113191.jpgStarland Vocal Band/Starland Vocal Band

ちゅうことで、タイトルは思い出の”Afternoon Delight"です。
私にとってはカタカナ表記の方がしっくりくるなあ。
本文にも書きましたが、この曲めっちゃ好きだったんですよね。
私にとっては完璧な曲でしたけど、日本ではそこそこのヒットで、ちょっと悔しかったけど、あとで全米No,1と知って留飲を下げたものです。
結局一発屋で終わっちゃいましたけど、その後のシングルをラジオで聴きましたが、「カリフォルニアディ」はこの曲を彷彿とさせるハーモニーで好きでしたけど、「ヘイルヘイルロックンロール」は変な曲だったのを覚えています。

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by falling7813 | 2016-07-12 22:21 | Looking Back | Comments(0)

The Golden Age Of Rock'n'Roll

19日木曜日の夜。

アウェー仕事が予定より早く終わったので、直帰の予定を変更して、会社に戻って残務整理をして、その帰りにちょこっと飲む。

家に帰り、いつものようにパソコンをいじっていたら、いつの間にかWindows10への更新プログラムが動いている。
これまでもパソコンから更新しませんかという提案は受けていたんだが、使ってるプログラムが動かなくなったりしたら嫌なので、かたくなに拒否してきた。
酔っぱらって、どこか押しちゃったかなあ。

e0242504_08432849.jpg動く出した更新プログラムはどうすることもできず、我が家のパソコンはWindows10に更新された。

心配していたプログラムだが、今のところ無事に稼働するみたい。

何が一番心配だったかといえば、iTunesとlast.fm
今私の生活には欠かせないし、実際last.fmは何かのプログラム更新でしばらく動かなくなったことがあった。

e0242504_08574100.jpg無事に動くんだが、ひとつだけ大きく変わったことは、iTunesで音楽を聴いていて、last.fmにシンクロさせてると、曲が変わるときの画面右下の表示が出る際に、結構でかい音でチャイムが鳴ること。なんだかねえ。

無事に動いてホッとしたときに思い出したのが、私の音楽との付きあいの歴史。

いろいろあって1976年から洋楽を聴きはじめ、1977年から「全米トップ40」を聴き始めた。

このへんのいきさつを語り始めると長くなるし、熱くなるので省略するが、アメリカのヒット曲を聴き続け、レコードを買い続け、だんだん局のストックが増えてきてやり始めたのが、ヒット曲をヒットした順番に並べること。

まずはカセットでやり始めた。
60分テープを大量に買ってきて、100本以上作ったかな。
その日の気分でいろんな年代のテープを持ち出して、ウォークマンで聴いてました。
レコードを買うたびに、作り直したりしてたなあ。

時代がCD時代に移り、私も実家を出て、大阪府高槻市で人生初の一人暮らしを始めた。
さすがに実家にあるでかいステレオを持っていくわけにはいかず、ミニコンポを購入。
そこについていたのがMD。

次はMDでこれをやり始めた。

レコードもどんどんCDに入れ替わり、このMDづくりのために、CDが10枚以上はいってプログラム再生ができるCDチェンジャーも買った。
結婚してコンポの前でじっと作業するのも難しくなったので、勝手に機械がMDを作ってくれるシステムは画期的だったなあ。

パソコンも買ったので、excelに曲名を入れて管理して、ラベルもexcelシートから印刷した。
でも、外でMDを再生する環境はなく、外ではもっぱらカセットだったと思う。

その次に来たのがiTunesだった。
きっかけは、Vandebilt氏からiPodを譲ってもらったこと。
その時にパソコンにiTunesをダウンロードしてシンクロする方法も教えてもらったんだが、このiTunesが私の生活を大きく変えることになった。

e0242504_09202493.jpg最初は手持ちのCDをどんどん入れていったんだが、そこでふと思いついたのが、iTunesにヒットチャートの情報を入れれば今までカセットやMDでやっていたことができるんじゃないかっていうこと。

一度火がついたらA型のオタクは止まらない。

e0242504_09253568.jpgiTunesのフィールドで、余っている「グループ」と「コメント」を使うことにして、Joel Whitburnの本を片手に、Hot100にはいった曲はジャンルを「Chart」に変更し、グループに日付、コメントに最高位を入力。

これで、ジャンルがChartのものを選んでスマートプレイリストを作って、グループのフィールドでソートすれば、Hot100入りした曲を古い順に並べることができる。

今までものすごい時間をかけて作っていたものがサクッと作れてしまうし、その日の気分でいろいろな時代の曲が聴けるし、シャッフルもできる。
e0242504_09390347.jpgなんて便利なんだ。

e0242504_09481229.jpgついでに、ネットで調べてイギリスや日本でNo.1なった曲は、コメントのフィールドに「UK1」とか「JP1」とか入れて、セレクトできるようにしたし、聴いた曲については好きな順に5段階のレートも必ず入れるようにして、イギリスや日本のNo,1ヒットをセレクトできるようにしたり、好きな曲をセレクトできるようにしたりと、お楽しみは限りない。

私にとってはとんでもないおもちゃだ。

e0242504_09512256.jpgアルバムアートワークもなるべくマメに入れていて、iPhoneやiPodで聴くときにジャケットが表示されるとにんまりしている。

そんなわけで、便利に音楽を楽しめるようになり、今までいろんなプレイリストを作ってきたが、最近作ったのが、1976年から1985年のヒット曲のプレイリスト。

アメリカのヒット曲を一番まじめに聴いていた10年間のヒット曲。
1976年は日本でヒットしてた洋楽しか知らないので、ちょっと後付けの曲もあるけど、ほとんどがリアルタイムでいろいろ思い出のある曲で、すごくなじむし、癒される。

ほんとWindows10になってもちゃんと動いてよかった。

《What's The Title?》

e0242504_18212658.jpgThe Hoople/Mott The Hoople

タイトルは最近作ったプレイリストにちなんで「ロックンロール黄金時代」。
Mott The HoopleってアメリカではTop40ヒットは”All The Young Dudes”しかないんだけど、「ロックンロール黄金時代」は日本でもヒットしたし、私もAMラジオで1976年ごろに聴いたことがあったし、Def Leppardが”Yeah!"でカバーしてますんで(Def Leppardのバージョンもなかなかいいですよ)、イギリスでヒットしたんですかね。
ピアノとかサックスが効果的に使われて楽しい曲で、日本でヒットする要素は持ってますよね。
今、ロックンロールって死語ですかねえ。


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by falling7813 | 2016-05-21 10:07 | Looking Back | Comments(0)

My Home Town

私は熊本県で生まれた。

e0242504_07294107.jpgもともと両親が九州出身で、父が熊本で仕事をしていた時に生まれたんだが、その後父の仕事の関係で、熊本県では6年間過ごしたに過ぎない。
その後あちこち引越したので、埼玉県で生活した年数の方が長くなった。

生まれて6年間なので、記憶も断片的なんだが、すごく愛着があって、甲子園なんかでは熊本代表や九州代表を応援している。

やがて私も社会人になり、全国ネットの今の会社を選んだ。
最初は東京勤務だったが、次の転勤時期には、九州出身だから九州へ行かせてほしいと希望したんだが、あえなく京都に行くことになり、その後東京と関西を行き来することになった。

そして、時は流れ、2007年夏、念願かなって私は熊本勤務となった。

熊本へ行くと、初対面の常で、出身地を聞かれ、「実は熊本生まれでして」と答えるんだが、次に「高校どこ?」と訊かれ、「6年で引っ越しまして」と答えると、たいていがっかりされてしまうんだが、それでも、生まれたところで仕事ができるのはうれしかった。

e0242504_07343108.jpg結局熊本勤務は2年間だったが、仕事上いろいろつらいこともあったけど、それ以上に楽しい思い出がたくさんでき、トータルではプラスの方が多くて、最高の故郷勤務となった。

木曜の夜、仕事の飲み会を終え、内輪で二次会をやっている最中に、「熊本で震度7の地震が起こったらしい」というニュースがもたらされる。

スマホでニュースを確認したら、実際に地震は起こっていた。
飲んでいる最中に、かみさんから、親戚はいないかと確認の電話があった。

翌朝のニュースを見ると、熊本勤務中に何度も仕事に行った益城町で被害が出たし、熊本城の石垣が崩れた映像には胸が痛んだ。
熊本の知り合いにメールしたら無事でひと安心。

金曜日は会社の歓迎会で遅くなり、翌朝二日酔いで目覚め、寝ぼけ眼でネットのニュースを見ると、「14日の地震は前震で、16日が本震」という見出し。

e0242504_07304165.jpgなんだ?

急いでテレビをつけたら・・・

故郷は無残な状態になっていた。

熊本勤務の間、朝のウォーキングで行っていたし、会社で大花見大会をやった熊本城の被害はさらに大きくなり、石垣は崩れ、櫓は倒壊し、天守閣の瓦がなくなった。

地元の人に勧められて、ウォーキングを兼ねて豊肥本線の立野駅から歩いて行った垂玉温泉

e0242504_07355425.jpgその時渡った阿蘇大橋は跡形もなく消え去り、高くて恐ろしい思いをした橋も壊れていたし、垂玉温泉は道路がふさがれ孤立した。
単身赴任中何度もお世話になった阿蘇くまもと空港は建物に被害が出て閉鎖された。

たくさんの家が壊れ、たくさんの方が亡くなった。

NHKテレビを見ながら、ただただ唖然とするばかりで、やらなきゃいけないことはたくさんあるのに、何もすることができず、ぼーっとテレビを見続けた。

e0242504_07383338.jpg酒浸りで太ってしまったので、スポーツクラブには行かなきゃと、5時過ぎに何とか活動を開始した。スポーツクラブには行ったものの、あれこれ忘れ物をしていて、完全にポンコツ。

今もNHKのニュースを見ているが、懸念された今朝までの雨の量がさほどでもなかったのが不幸中の幸いだが、まだ震度4クラスの地震は続いている。

被害は甚大だが、早く事態が収束し、復興へ歩み始めることを祈るほかない。

地元の人から見れば中途半端な熊本人かもしれないけど、熊本生まれの人間として、できることはしたいと思っている。

(2016年4月23日追記)
東京の家に帰ったら、熊本時代の写真があったので、付け加えてみました。
今はこのような景色が失われていると思うと寂しい限りですが、私も前を向いていくしかないですよね。

がんばろう熊本!!!

《What's The Title?》

e0242504_05514088.jpgBorn In The U.S.A./Bruce Springsteen

タイトルはそのまんま"My Home Town"です。
ファーストシングル"Dancing In The Dark"がすごくかっこよかったし、すごいアルバムだという前評判だったので、このアルバムは買いましたが、当たりの曲とはずれの曲の格差がデカいというのが私の感想です。
"Dancing In The Dark"、”Bobby Jean"などは好きだけど、"Born In The U.S.A."とか"I'm On Fire"なんかは全く評価できないっすねえ。
で、"My Home Town"も私にとってはダメな曲です。
Bruce Springsteenってこういう緩い曲を歌うのはあまりうまくないと思いますね。
なんだかフニャフニャしてるだけの曲というのが私の感想です。

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by falling7813 | 2016-04-17 06:48 | Looking Back | Comments(0)

For The Peace Of All Mankind

さわやかウォーキングで恵那峡に行っていた11月7日土曜日
東京では、学生時代のサークルのOB会が行われた。
仕事で11月2~3日東京にいて、またすぐ戻るのはスケジュールがきついので、残念ながらパスさせてもらった。

サークルのOB会っていつ以来かなあと思い出してみたら、たぶん今から10年ぐらい前じゃなかったかと思う。

どこでやって、どういう人が出席して、何をやったかは全然覚えていないんだが、唯一覚えているのが、その時亡くなられていた2年先輩のKMさんに黙祷したこと。

KMさんについては、亡くなられたときに前のブログに書いたと思う。

別に学生時代はそんなに仲良くはなかったんだけど、社会人になってから距離が縮まる出来事があったので、亡くなられたと知ったときは何とも言えない気持ちだった。

それは、私が初めての単身赴任で大阪にいた時だ。
2001年4月から2004年3月までの間の出来事だ。

初めて単身赴任してさびしかったんで、当時大阪にいたサークルのお仲間に声をかけた。
声をかけた相手は、当時すでに大阪に居を構えていたKMさんと1年後輩のかめさん、そして私同様単身赴任していた3年後輩のKTくん。

このメンバーで大阪OB会として何回か開催したのだ。

大阪の家にはパソコンがなかったんで、ケータイで連絡取ったんだろうけど、どうやって連絡してたんだろう?

毎回私の職場のそばの居酒屋で飲み始めて、近所のカラオケボックスへ行くパターンが多かったと思う。

e0242504_12063267.jpg他の人や自分が何を歌ったかはあまり覚えていないんだが、KMさんがAlbert Hammondの「落ち葉のコンチェルト」やMarvin Gayaの”What's Going On"を歌っていたのは覚えている。

"What's Going On"はさびのところでかけあいがあるので、合いの手をやったなあ。

たしか私がいる間は4人でOB会を続けていたような気がする。

そして、2004年3月に大阪から東京に転勤になった。
その後大阪OB会がどうなったか知らないが、東京にいる間に、誰かからKMさんの訃報を聞いて、かめさんに連絡をとったなあ。

OB会と聞いてそんなことを思い出した。

《What's The Title?》

e0242504_12201202.jpgGreatest Hits/Albert Hammond

タイトルはKMさんの十八番だったAlbert Hammondの「落ち葉のコンチェルト」。
今の時期にぴったりの邦題ですけど、原題は「全人類の平和のために」ってことですから、さすがにそのままではポップスとして重いってことでしょうねえ。
Albert Hammondはアメリカでも「カリフォルニアの青い空」で大ヒットを飛ばしたけど、その後は"I'm A Train"がちょこっとヒットしただけ。
ところが日本では独自にシングルカットしてきたのか、日本だけのヒット曲っていうのが多くて、この曲とか、「思い出のメロディ」とか「風のララバイ」とか根強く80年代までヒットが続きました。
この「落ち葉のコンチェルト」の歌詞を見ると、別れの歌で、「全人類の平和のために出て行ってくれ」みたいな女々しい歌詞で、「カリフォルニアの青い空」の情けない歌詞同様、アメリカでは歌詞的にウケない要素があるけど、日本人は意味わかんないからOKってことかな。

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by falling7813 | 2015-11-09 06:30 | Looking Back | Comments(2)

Today's The Day

今日は3月11日。
東日本大震災からもう4年ですね。

私にとって当日はこんな1日でした。

ちょうど弘前への転勤の準備をしていた時期でしたが、震災の影響で物流が大混乱になって、4月になっても引越しの荷物が運べないということで、持てるだけ手荷物を持って現地に行き、半月以上同じく引越し荷物が出せなかった前任者の荷物を使わせてもらって生活した。

そういえば、弘前に入るときは、東北新幹線は止まっていて、青森空港まで飛行機だったなあ。

今も福島の原発は大変な状況だが、うちの両親は、同じ東北の弘前に行くというんで、原発事故の影響を心配していた。
原発からは、弘前より東京の方が近いんだが。

いざ弘前に行ってみると、同じように考える人が多いのか、観光客が減ってしまい、津軽一帯は風評被害を受けていた。
そういえば、りんごの相場も暴落したんだよなあ。

e0242504_06154746.jpgその後、津波被害を受けた久慈宮古を訪れたが、津波被害の大きかったことを目の当たりにすると言葉を失う。

去年行った宮古の港近くはまだ区画整理の途中で、復興が道半ばであることをあらためて知った。

e0242504_06203017.jpgまだ宮古から釜石に向かうJR山田線は不通のままだったもんなあ。

右の写真の線路の先はつながっていないんですよね。

北海道のテレビでも、釜石出身のアナウンサーが涙ながらに震災を忘れないでほしいと訴えていたけど、我々にできることは、震災のことを忘れずにいることなんだろう。

忘れることはできないと思う。

《What's The Title?》

e0242504_06002761.jpgHideaway/America

今日がその日なので、タイトルは"Today's The Day"。
デビューアルバムが大ヒットしてからじり貧だった状況を74年の"Tin Man"で打開し、75年には"Sister Golden Hair"で2曲目のNo.1を放ったAmericaでしたけど、このアルバムでまた低迷期に入っちゃって、メンバーが2人になっちゃいました。
昔LP持ってましたけど、たしかに今一つ元気がない印象を受けるアルバムでした。
この曲リードボーカルは弱いですけど、ハーモニーは相変わらずきれいだし、ギターソロが泣けます。

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by falling7813 | 2015-03-11 06:31 | Looking Back | Comments(0)

Dedication

ワールドカップボケのボーッとした頭で、日経新聞の訃報欄を見ているとびっくり。

ケーシーケイサム氏

82歳だったそうだ。

Casey Kasemといえば、知る人ぞ知るあのAmerican Top 40のDJだ。
ちなみに彼自身の発音からすると、ケーシーケイスムに聞こえた。

九州生まれの私は中学の頃は埼玉県にいた。

e0242504_19224455.jpg中学の初めの頃は、チューリップや風などの博多フォークを中心に歌謡曲を聴いていたんだが、学校内では洋楽を聴く人が結構いて、学校内で話題を合わせるためにも、文化放送の「電リク」や土居まさるの「ポップスNo.1」、せんだみつおの「オールジャパントップ20」、TBSの「今週のポップスベスト10」、ニッポン放送の糸居五郎の「ポップスベスト10」、「日立ミュージックインハイフォニック」などを聴きまくり、Queen、Bay City Rollersをはじめとした洋楽にだんだんのめりこんでいった。

e0242504_19303326.jpgそのうち、ラジカセを買い、ラジオ番組を録音するようになり、いろんな曲を覚えて、好きな洋楽もどんどん広がり、ラジオについても興味も深まって、FMの存在を知り、シリアポールの「ダイヤトーンポップスベスト10」も聴くようになる。

そこでは、AMラジオで慣れ親しんだWingsやPeter Framptonなどのほかに、マルチェラの「ネグロ」、UFOの「電撃のロックンローラー」など独特な曲がチャートインしていた。

e0242504_19570739.jpgこのあたりを語りだすと止まらないので、このへんにして、その頃FMと並んで謎の放送局だったのが、FENだった。
ある土曜日の午後、いつものように2時からのFM東京の「ダイヤトーンポップスベスト10」を聴き終わり、なんとなく謎の放送局FENにダイヤルを合わせてみた。

e0242504_19480065.jpgそこで出会ったのが,American Top 40で、そのDJがCasey Kasemだった。

最初聴いたときは知らない曲が多かったが、たまたまQueenの"Somebody To Love"やAerosmithの"Walk This Way"がはいっていたし、"After The Lovin'"とか"Torn Between Two Lovers"みたいにすぐに気に入る曲があったので、土曜の午後はFENが日課になった。

e0242504_20122628.jpgそれと前後して、埼玉では非常に感度が悪くて聴きづらかったラジオ関東の「全米トップ40」がAT40の日本版だと知り、湯川れいこさんの「メモと鉛筆の用意はできてますね」の掛け声に素直に反応し、チャートオタクとなり、現在に至ったわけだ。

e0242504_20190242.jpgそんなこんなでAT40を毎週聴くようになったんだが、日本版は電波の状態が悪し、3時間の放送時間の中に解説やら何やらが入るので、曲をじっくり聴きたいときは、チャートは1週遅れだったけどFENの方を聴いていた。

FENの方を聴くと、当然Caseyの語りもフルバージョンで聴けるわけだが、最初は中学生の私にはちんぷんかんぷん。

e0242504_20264126.jpgでも、聴いているうちに徐々に慣れてきたし、アーティスト名の固有名詞のボキャブラリーも少しずつ増えてきたし、なんといっても次はどんな曲が出るか楽しみで、Caeeyの語りに魅せられていきました。
その流れで、FENの音楽番組はよく聴くようになって、「ウルフマンジャック」や「チャーリーツナ」なんかよく聴いたなあ。

当時の日本では音楽にノッてしゃべる人って、糸居五郎さんぐらいしかいなかったんだけど、アメリカのDJのノリって違うんですよね。

e0242504_20494309.jpgそれにイントロとしゃべりのかぶせ方がうまい。そういうテクニックは演歌の司会者も持ってるけど、それとは違うアメリカンな世界だ。

流暢というのは、こういうことをいうんだと思いましたね。

e0242504_20523599.jpgFENを長い時間聴くようになったことと、曲のタイトルを聞き取ろうと一生懸命Caseyたちの語りを聴いているうちに、英語のヒアリングも少し良くなったようだ。
しゃべる方はからっきしなんだけど、ヒアリングでは何かの機会にほめられたことがある。

今も60~80年代のヒット曲を中心に音楽にどっぷりつかって暮らしているので、Casey Kasemも間違いなく私の人生をそういう風に変えた一人だ。

ゆっくり休んでもらいたいなあ。
お疲れ様でした。

《What's The Title?》

e0242504_19134970.jpgDedication/Bay City Rollers

タイトルはラジオ番組のスターだったCaseyにちなんで"Dedication"。
AT40にも"Long Distance Dedication"というお便りとリクエストのコーナーがありましたからねえ。
当時日本では人気絶頂期を迎えて、The Beatlesの再来と言われ社会現象となっていたBay City Rollersですけど、アメリカではそれほど爆発的には売れなかったんですよね。
この「青春に捧げるメロディ」(う~ん邦題が涙ものだなあ)もアルバムではイアンが歌っていたのをレスリーが歌いなおしてシングルカットして、日本では大ヒットでしたが、アメリカでは60位止まりで、AT40のチャートには入れませんでした。
でも、ヒットしようがしまいが、私たちの年代にとってはきゅんとくるし、切なくていい曲だと思いますね。

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by falling7813 | 2014-06-17 20:53 | Looking Back | Comments(3)

Heather

11月12日(火) 雪の朝。

いつものHTB「イチオシ! モーニング」を見てたら、芸能ニュースで、ポール来日公演をやっていた。
今朝も有料サウンドチェック(さすが商売人)の話をやってましたね。

京セラドームでの大阪公演で、ポールは、「マイド」、「オオキニ」などを連発し、愛嬌を振りまいていたらしい。
11年ぶりで、これが最後といわれる日本公演。

11年前といえば、2002年。
同じ大阪ドームの公演を私は見に行った。

私は2001年の3月から2004年の3月まで初めての単身赴任で大阪にいて、噂されていたポールがついに来日ということになって、大阪公演のチケットを永遠のポールファンである友人のVandebiltさんにとってもらったのだ。

e0242504_1949395.jpgやっぱ、ポールはすごかった。
当時すでに60歳で、うちの会社なら定年なんだよなあなんて思いながら見ていたけど、当時新譜だった"Driving Rain"のジャケ写(たしか日本盤はこっちの写真→がメインだったような気がする)が全然違和感ないぐらい現役ロッカーだった。

「マイド」も「オオキニ」も言ってた。

「サムシング」のおちゃらけウクレレはいただけなかったが、「死ぬのは奴らだ」の花火どかんどかんとか、泣ける「マイラブ」とか、とにかく超一流のエンタテイメントに圧倒された。

心から、見てよかったと、東の空に向かってVanさんを拝んだ。

大阪にいたころの後輩で、ビートルズのコピーバンドをやっている梅田キャバーンによくいっしょに飲みに行っていたWくんも転勤先の熊本(実はそれから5年後、私も熊本に転勤になり再会した)から大阪公演に来ていて、公演終了後、行きつけの梅田の飲み屋で飲み始め、日曜日だったけど、盛り上がって終電に間に合わず、タクシーで家に帰った夜だった。

大阪にいたころは、ほかにもいろいろなことがあった。

e0242504_2021041.jpg2002年といえば、ワールドカップ。

大阪でも長居競技場で試合が行われた。

今思えば、二度と生で見られないような大イベントだったんだが、当時仕事がめちゃくちゃ忙しくて、全然見に行くという発想が浮かばなかった。
忙しくて、テレビでもちゃんと試合を見た記憶がなく、仕事をさぼってテレビで神戸のチュニジア戦を見て、「モリシがやったよ」とか騒いでた某先輩にはめちゃくちゃ腹を立てた記憶がある。

実は当時住んでいた家は、長居競技場まで歩いて20分ぐらいのところで、土曜日に休日出勤して、夜我が家の最寄駅地下鉄御堂筋線西田辺駅を降りたら、外の道路を警察が交通整理をしていて、外人サポーターがうようよ歩いていたのを覚えている。

あとは、韓国の選手がイタリア選手の頭を蹴ったことぐらいしか覚えていないワールドカップだった。
もったいないことしたなあ。

大阪といえば、わが阪神タイガースのホームタウン。
3年いたけど、結局甲子園に見に行ったのは1回だけだった。

2001年のナイターで、当時の外人ペレスとクルーズがいっぱい三振して、寒いことこの上ない試合だったが、なぜか2-1ぐらいで競り勝ち、六甲おろしを歌うことができた。

e0242504_20203189.jpgこのときも梅田まで戻り、いっしょに見に行った会社の皆さんと祝杯をあげたなあ。

その後、2002年は仕事が忙しくなって、それどころではなくなり、2003年は突然の快進撃で、甲子園の阪神戦はプラチナチケットとなり、手に入らなくなった。

そして、2003年阪神タイガースは、18年ぶりのリーグ優勝を果たしたのでした。
それを地元で体験できたのは至福でした。

当時、なかなか甲子園に行くことはできなかったけど、梅田に、でっかいテレビがあって、試合開始からサンテレビの阪神戦を放映してる飲み屋があって、みんなでやじりながら飲んでたなあ。

ポールの大阪公演で、いろいろ思い出した冬の日。

《What's The Title?》

e0242504_19444944.jpgDriving Rain/Paul McCartney

Paul McCartneyの2002年の来日公演の中で、思い出に残っているうちの1曲"Heather"をタイトルにしました。
名前のとおり、泥沼の裁判沙汰の末別れた当時の奥さんをネタにした曲なので、もう歌うことはないんだろうけど、当時はラブラブだったわけで、Paulとしては、渾身の1曲だったんではないかなあ。
アルバム"Driving Rain"のなかでは、メロディの美しさはピカイチだと思いますね。
2002年のライブでも披露されて、たしか美しい映像とコラボした演出だったんじゃなかったかなあ。
ライブでも美しいメロディに魅せられて、すごく印象に残った曲でした。
埋もれさせるにはもったいないけどなあ。
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by falling7813 | 2013-11-13 07:33 | Looking Back | Comments(2)

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