New York Mining Disaster 1941

連休用に何冊か図書館で本を借りた。

本を探すときは、だいたい好きな作家をベースに、最近返却された本(=そこそこ人気がある)などから選んでいる。
たまに図書館だからと未読の作者を選んで失敗することもある。

今回は、まさかのタイトル大幅変更なんていう落とし穴はあったものの、今手元にあるのは、誉田哲也、池井戸潤、海堂尊、そして重松清という私にとってはまず外さないラインだ。

重松清は好きな作家だ。

読み始めたきっかけは、友人のニャロメさんからプレゼントされた「ビタミンF」で、そこからハマってしまい、今まで7~8冊読んでいるが、まずはずれない。

ニャロメさんには感謝、感謝だ。

重松清は私と同世代で、学校も一緒(もしかして会っていたかもしれない)ということで、妙に波長が合うというのも魅かれる点なんだが、バックグラウンドが近いせいか、描かれている話がリアルに響いてくることが多い。

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そういう意味では、自分と立場の近そうな中年オヤジ話は、リアルすぎてつらくなることもあるので、なるべく敬遠して、今読んでいる本は「せんせい。」

タイトルどおり学校の先生をテーマにした短編集なんで、主人公の「先生」は自分とは重ならなかったんだが、同世代ということもあって、ニールヤングが好きな先生の話なんかが出てきて、自分のあるエピソードを思い出してしまった。

私の通っていた中学に、新人の数学の先生が赴任してきた。

当時世界戦に挑んであえなく負けたバズソー山辺(すごいリングネームだ)というボクサーに似ていたので、「バズソー」とか、下の名前が「たもつ」だったので、親しみをこめて「たもっちゃん」とか呼ばれていた。

新人ということで、先生の中では一番我々に世代が近くて、気さくに話をしてくれて、話がわかる先生だった。

そして極めつけは、授業の一環として行われる方の正課のクラブ活動(うちの中学では、そっちを「クラブ」と呼び、課外は「部」とか「部活」と呼ばれていた)で、バズソー先生は洋楽を聴くクラブをスタートさせた。

当時は、給食の時間に放送部がインストだからと「反逆のテーマ」をかけただけで怒って途中で止めさせた先生がいるような時代だったので、たしかクラブのネーミングはあまり波風が立たないような「音楽鑑賞クラブ」みたいな名前だったと思う。

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当時はBay City Rollersが日本で大人気で社会現象化していたし、Queenだ、Kissだ、Aerosmithだとクラスの半分以上が洋楽を聴き始めて熱狂していた時代だったので、そのクラブは生徒から熱狂的な支持をもって迎えられた。

たしかそのクラブはすごい人気だったと思うが、運よく抽選が当たり、私はそのクラブに参加することができた。

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みんなの期待の中、開始されたそのクラブは、毎回バズソー先生が選んだ1組のアーティストの曲を聴いて、聴いている間に曲名を先生が黒板に書いておき、最後に先生が解説するという形で行われた。

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登場したアーティストはThe Beatles、Deep Purple、Led Zeppelin、The Rolling Stones、Chicago、Yesなどのメジャーなロックで、ソウル系、ポップス系とかは登場しなかったと思う。

毎回先生がたぶん自前とも思われる複数枚のLPを持ってきて、その中から選曲していたので、今思えば、かなりのロックマニアだったんだろう。
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The Beatlesの回は複数回あって、"Abbey Road"は通しで聴いたような記憶がある。

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一番盛り上がった回は、当時Bay City Rollersと人気を二分していたQueenで、その回は曲が出るたびに歓声が上がっていたような気がする。

Bay City Rollersはやった記憶がないので、そこはロックファンとして先生がこだわったのかもしれない。

そんな感じでクラブは進んでいき、かなり佳境に入っていたから3学期だったと思う。

その回のテーマはBee Gees。

ここでみんなざわつく。

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当時Bee Geesというと"You Shood Be Dancing"という思いっきりディスコに走った曲をヒットさせていて、明らかにそれまでクラブで特集されてきたアーティストとは異質だ。

そんな違和感の渦巻く視聴覚室に流れ始めたのは、"You Should Be Dancing"とはまた異質などこか牧歌的なポップス。

日本でも大ヒットしオリコンNo.1に輝いて、当時AMラジオでも懐かしのリクエスト的な感じでオンエアされていた「マサチューセッツ」ぐらいはわかったが、あとは当時の中学生は知らない曲だらけだし、いつもと違ってゆるい曲だらけなので、生徒は徐々に飽きてきて、関心が薄れるのと反比例して私語のボリュームが大きくなり、最後の方はほとんど曲が聞こえないぐらいの乱れようだった。

最後の解説の時間になり、バズソー先生が教壇に立ったが、様子がおかしい。

開口一番、「おれは悔しい」と言って、唇を結んだ。
そして目からは涙があふれてきた。

そのあと先生が何を言ったかは覚えていないんだが、我々生徒もBee Geesが先生の大好きなアーティストで、それを生徒が全く受け入れられず、クラブ始まって以来のだらけた私語大会になってしまったことに悔し涙を流したことはわかった。

そのあとも何回かクラブは行われたと思うが、なんとなくお互い気まずい空気だったような気がする。

そして、翌年以降ロックを聴くクラブが行われることはなかった。

それから時が流れ、私は出身中学に教育実習に行くことになった。

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当時はずいぶん久しぶりに母校に帰ったような気がしたけど、今思えば卒業してから6年ちょっとしか経っていなかったので(22年の人生のうち6年と今の6年は尺度が違うか)、私が在学中にいた先生も何人かは残っていて、2年生の時の担任の柔道が専門の体育教師N先生や理科のS先生などに混じって、バズソー先生の姿もあった。

N先生やS先生は最初の朝礼であいさつした後声をかけてくれたが、バズソー先生は何も言ってこなかった。

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見た目はちょっと老けたかなと思った。

私は担当科目が社会だったので、数学担当のバズソー先生とその後も話す機会はなく、廊下ですれ違ったときに挨拶するぐらいだったが、担当したクラスの生徒と話をしてみると、バズソー先生はそれほど人気がないようだ。

生徒とはあまり余計な話はしないし、授業も真面目に淡々とやるらしい。
私が彼が新人だった頃の話をしても、信じられないといった反応だし、そんなこと興味ないといった顔をされてしまった。

重松清の「せんせい。」にも書かれているんだが、生徒だった頃って、先生はものすごく大人だったんだけど、自分が歳を重ねてみると、中学生と新人の先生って7~8歳しか違わないんですよね。

実際に自分も新人の社会人を経験し、歳をとっていろいろな経験をして、当時それぐらいの年齢だった先生がどう思っていたかなんてこともわかったりする。

バズソー先生も新任の時は情熱があったし、洋楽を通じて生徒との距離を縮めたいと思っていたのかな。

あの涙は挫折の涙だったのかな。

《What's The Title?》

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Bee Gees 1st/Bee Gees

あのときこの曲をクラブでやったかどうかも覚えていないんだけど、Bee Geesの記念すべき初のヒット曲だからきっとやってただろうとタイトルにしました。
中学生だった私にはわかるはずもなかったわけですが、Bee Geesって歌詞も難解で深いんですよね。
この曲も炭坑の事故で閉じ込められてしまった主人公(それもタイトルを見ないとわからないんだが)がMr. Jonesとお話ししているわけですけど、あまり多くの説明がないので、いろいろ想像を掻き立てられる歌詞になってます。
そういうところもバズソー先生の好みだったのかなあ。

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by falling7813 | 2017-05-07 11:17 | Looking Back | Comments(2)
Commented by ニャロメ at 2017-05-07 20:41 x
そうですか、重松清をプレゼントしたんですか、私。
確かビタミンFは、当時、お見合いおばさんに定期的に女性を紹介してもらっていた時期に、気に入って2回目に会う女性にプレゼントして反応を見ていたんですよね。
ちゃんと感想が返ってきたのは2人位だったかなあ。どちらも成就はしませんでしたが。
多分その時期にボスの送別会か何かあったのでしょう。

その先生は、多分その後何回か同じことやって全部受けなかったのかも知れませんね。
傷心の日々やメロディフェアは良い曲だと思うのですが、なんどか聴かないと分からないかも
。バズソー先生のご多幸をお祈りするばかりです
Commented by falling7813 at 2017-05-07 22:13
ニャロメさん

たしか熊本に二度目の単身赴任をする時だったと思います。
その節はthanksでした。
「ビタミンF]にはそんな裏話があったんですね。
バズソー先生としては、The Beatlesで何度も瀬踏みしてたんで、Bee Geesでも大丈夫と思っていたのかもしれませんけど、残念ながら埼玉の中学生には知名度が違いすぎたんだと思います。
みんな気を使うこともできないガキでしたんでねえ。
でも、まさか泣くとは思わなかったので衝撃的で、あれ以来学校で洋楽をかけたりしなかったようなんで、心が折れてしまったようです。
教育実習に行ったときは評判がだいぶ悪くなっていたので、その後どんな先生になったのかちょっと心配ですが、社会人はこういう出会いの運・不運の積み重ねですからねえ。
もう退職してるんだろうなあ。